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子ども達の祝福

あなたがたは、わたしのことばを心とたましいに刻み、それをしるしとして手に結び付け、記章として額の上に置きなさい。それをあなたがたの子どもたちに教えなさい。あなたがたが家に座っているときも道を歩くときも、寝るときも起きるときも、これを彼らに語りなさい。これをあなたの家の戸口の柱と門に書き記しなさい。

申命記11:18~20

1.親と大人の責任
 今日は一部で進級祝福式、二部で役員・CS教師任命式を行います。教会に子ども達が与えられている事、そしてまた新しい命が生れた事は、本当に幸いです。親はこどもに対して責任があります。ただ食事を与えておればいい、という体の健康・発育に対する責任だけではありません。その子どもの「魂」に対して責任があります!子どもの幼い魂に何を与えるか、魂に何を食べさせるか!申命記11:1~7。これは簡単に言うと、神様のことを知っている親であるあなたがたは、子どもたちに神様のことを知らせる責任があるという事です。
考えたら、神様を知ってるってスゴイ事ですね!目には見えない神様について知っている。神様が全能である事.神様が救う方である事.神様が愛である事、正義である事を知っている!頭で知ってるんじゃなくて、親がその数十年の人生を信仰をもって生きてきた事によって、神様と共に生きてきた事によって、体験を通して神様を知っている!子どもは、まだ知らない訳です、親ほどは生きてないから。この神様を子どもに伝えないで、一体何を伝えるというんでしょうか?


2.主を子に伝える
 例えば、子どもは親に色々大事な質問をするでしょう。その時、自信なさそうにいい加減に答える親もいるでしょう。けれども聖書を知っているなら、聖書の真理に基づいて答える事が出来る!しかも確信をもって答える事ができる!今、子ども達はまだ幼ない。けれども、あっという間に大人になります。その子がどんな大人になるか、どんな人生の生き方をするか、どんな価値観をもって一生を生きるのか。神様を敬って、御言に従って生きるか、神様を軽んじて御言を無視して生きるのか。幸せになるのか、不幸になるのか。幼い今だけの祝福を祈るのではありません、その子たちの一生涯が祝福されるように祈るのです!もう人生のスタートをきってる訳です!まずスタートの時点で、どこに向かって走り出すかが問題です。祝福を祈りましょう!

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