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弱さは恵み

わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全にあらわれるからである。

Ⅱコリント12:9

1.弱さを与えられたパウロ
 題に「弱さは恵み」とつけましたが、「とてもではないが、そんなふうに思えない」という方もあるでしょう。頭では分かっていても、心からそう言える事は簡単ではない。でも、本当にこの真理に目が開かれたら、人生の視点が変わる事でしょう。パウロは弱さを与えられる前に、特別な恵みの経験をしました。それはなんと、幻の中で、天国、パラダイスの様子を見せられたというのです!12:1~4。なぜパウロがそんな話をしているかと言うと、パウロを使徒だと認めない人たちがいたので、自分も使徒である事を分かってもらうために仕方なしに話したのです。そんな特別な経験をしたパウロに、神様は高ぶらないようにと、肉体的な弱さを与えられたというのです!7節、“その啓示のすばらしさのため高慢にならないように、私は肉体に一つのとげを与えられました。”それは非常に苦痛な健康上の弱さか病気だったのでしょう。だから取り去られるよう、何度も祈りました。私たちはお互いの癒しを大いに期待して祈っていいのです。ヤコブ5章にも、“信仰による祈りは、病んでいる人を救います。”とあります。けれども、あえて何か「弱さ」を残される場合がある。9節“わたしの恵みはあなたに十分である。わたしの力は弱さのうちに完全に現れるからである。”


2.弱さは恵みの門
 私たちは色んな所に弱さがある時、不満を感じる、不足を感じる、神様の恵みは不十分である、不完全である・・・そう思うかも知れない。けれども、「わたしの恵みはあなたに十分、100%なのだ。あえて弱さを幾つか与えた。素晴らしい賜物、才能、優れた部分も与えたけども、弱い部分もあえて与えた。実はその弱い部分こそ、あなたに必要!その弱さこそ、あなたを完全にするのだ」と言われる。確かに、私自身、これまでを振り返る時に、特に弱った時に特別な恵みを頂いてきました。救いも、献身も、結婚も・・・。弱るからこそ神様に必死に助けを求めます。そうするとイエス様が祈りに答えて、やがてイエス様の力が現わされる!イエス様の救いの力、その尊い血は、イエス様の傷口から、弱さから流れ出たのです。弱さは辛いものです。でも弱い部分が、恵みの出入り口となるのです!

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