悲しみと苦しみの祈り
わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。
マタイ26:38
1.最も悲しいこと
今日の箇所は「ゲッセマネの祈り」です。弟子たちと最後の晩餐をもたれた後、十字架に架かられる前に、イエス様はこの「悲しみと苦しみの祈り」をされました。
37節、“イエスは悲しみもだえ始められた。”
38節、“わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。”
皆さんは「死ぬほどの悲しみ」というものを、味わった事があるでしょうか?あるいは、人生の中で、一番悲しかった事は何でしょうか?人間にとって、どういう事が最も悲しいのだろうか。それは恐らく、愛する誰かを失う時、人間は最も悲しいのだと思います。その人を愛していればいる程、その人を失う事は、何よりも悲しい、死ぬほどに悲しいのだと思います。そして、この悲しみは味わった者にしか分かりません。息子イサクを燔祭として献げよと命じられたアブラハム、娘を北朝鮮に拉致された横田さん夫妻・・・。
2.イエス様の苦しみ
神のひとり子であるイエス様が、十字架に架かるという事は、私たちの身代わりに、父なる神様に完全に捨てられるという事です。今まで限りなく愛されていた、父の愛を失った訳です。それはイエス様にとって最も苦しいこと、心を引きちぎられる思い・・・これはイエス様にしか分からない苦しみでしょう。でも分からなくていいのです。愛の源である父なる神様に捨てられる苦しみ、それを私たちが分からなくて済むように、イエス様が身代わりになって下さった。
3.悲しみの中でゆだねる
42節。“「わが父よ。わたしが飲まなければ、この杯が過ぎ去らないのであれば、あなたのみこころがなりますように」”イエス様は悲しみのあまり死ぬほどだったけども、父なる神様に任せました。なぜなら分かってるからです。死ぬほど苦しい所を通るけれども、それで終わりじゃない!復活する!私たちの代わりに、確かに、父なる神様と御子イエス様の最大の愛がいったん断絶したのに、それが回復するという!もし皆さんが、死ぬほどの悲しみを味わったとしても、その死ぬほどの悲しみの中から、父なる神様に「あなたのみこころがなりますように」と祈って任せるなら、そのままで終わらない!それはもっと大きな喜びに変えられるのです!