神の言葉はイエスの中に
私は向き直って山を下り、それらの板を、私が作った箱の中に納めた。主が私に命じられたとおり、それらはそこにある。
申命記10:5
1.うなじの固い民
これまでの荒野の40年間を振り返った時、9章10章で繰り返し「あなたがたは強情な民だ(口語訳)」と言われています。他にも「逆らう」「聞き従わない」と。どうでしょうか、私たちは神様に対して素直だろうか?神の御言に対して素直だろうか?ヤコブ1:21には「心に植えつけられたみことばを素直に受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます。」とあります。
2.砕かれたみことば
モーセが40日40夜、断食をした末に頂いた「十戒」、これはまさに神の言を代表するものです。けれども十戒を授かってきた直後、人々は金の子牛の偶像を作り、最も大事な約束を早速破ってしまいました。いかに人間は御言に対して不従順であるか!そして、せっかく頂いた十戒の板は砕かれました。まるで「こいつらに神の言葉を与えても無駄だっ。契約は無意味だっ」と言うように。
3.復活したみことば
もし、この契約の板が砕かれたままだったらどうでしょう。神様に見捨てられたという事でしょう。しかし、もう一度この契約の板が与えられました!モーセのとりなしの祈りにより、もう一度40日40夜の断食をして、もう一度、契約の板を授かった。そしてもう二度とこの板が砕かれる事は無かった。この板は、箱の中に収められました。3~5節。「箱の中に納めた。」この「箱」はイエス様を象徴しているように思えます。「それらはそこにある。」今度は、御言は砕かれずに、今なおイエス様の内にある!モーセは40日の断食の後に十戒を頂いたけれども、イエス様も荒野で40日断食の後、御言で悪魔に勝利しています。言うなれば、イエス様は40日の断食の後、神の言を自分のものとしておられる!御言を自分の内に納めておられるのです。
4.御言に素直に
私たちは強情な罪人です。けれども、主は私たちを赦し見捨てず、御言をイエス様の内に納めて、私たちに改めて与えて下さいます!どうぞ御霊によって、強情な心が砕かれ、素直にされ、いよいよ御言に生かされる者として頂きましょう!