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純粋なパンを献げる

誠実と真実の種なしパンで祭りをしようではありませんか。

Ⅰコリント5:8

1.「罪」というパン種
 聖書では「パン」の話がよく出てきます。そしてパンを膨らます「イースト菌」すなわち「パン種」を「罪」に譬えています。「罪」もほんの少量でも心全体を悪くしてしまいます。また一人のクリスチャンの罪が、教会全体に悪影響をもたらす。


2.放って置くなら
 コリント教会は何かと問題の多い教会でした。今日の箇所では、信徒の中で大変な不品行を行っている者がいたというのです。この世の人でもしないような。勿論、どんな罪でも本当に心から神様の前に悔い改めるなら、あのダビデのように赦されます。けれども、大きな罪を犯したのに、反省している様子も悔い改めている様子もなく、相変わらず同じ罪を繰り返しているとするなら、その人はもはや「クリスチャン」と言えるでしょうか?5:9~11。6:9~10。罪というものは、自分のだけの罪で終わらない。人に伝染し、感染する。コロナどころではない。まさにパン種のように増え広がって、人を罪の道連れにします。クリスチャンにも、罪の誘惑は当然あります、牧師にもあります。この教団でも他のきよめ派の教団でも、残念ながら性的な罪で除名された牧師はいます。でも、大事なことは、その問題を放って置かず、事実を調べ、パン種を取り除いた事です。


3.純粋な自分を献げる
 クリスチャンの罪を厳しく扱う事は(ただの裁き合いではダメですが)、むしろ、その人が悔改めて救われるためだと、パウロは言っています(5節)。6~8節。クリスチャンは既に新しいものとされ、生まれ変わった者。イエス様の十字架で罪が赦されたのだから、古い罪の行いを取り除きなさい。そして、新しくされた者に相応しい歩みをしなさいと、パウロはこの手紙で繰り返し言っています。もう「救いの土台」は頂いたのだから、その後の生き方が大事だと!祭りとは、すなわち礼拝です。もし心から主を愛し、命を与えて救って下さったイエス様に対して感謝の思いを持つなら、純粋で真実な自分を主に献げたいと思わないでしょうか。日曜だけではありません。私たちは一週7日、一年365日、常に主を礼拝する者、礼拝者として召された者です!いつも、パン種の入っていない純粋で真実な自分を主に献げるように務める事が大切です。聖霊によって!

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