見えないものに目を留める
私たちは見えるものにではなく、見えないものに目を留めます。見えるものは一時的であり、見えないものは永遠に続くからです。
Ⅱコリント4:18
1.召天者記念
今日は召天者記念礼拝ですので、先に天国に帰られた方々のお写真を並べて礼拝しています。この一年程の間にも、何人もの愛する方々が天に召されました。これらの方々を思う時、本当に尊敬の思いになります。長い人生、悲喜こもごも色んな事があられたに違いない。その人生を完走された!スゴイと思います。そして今は天国にゴールインされて、安らいでおられる。羨ましい限りです。
2.見えないものに目を
題に<見えないものに目を留める>とつけました。例えば、私たちのこの体に目を留めると、だんだんと老化していきます。ところがクリスチャンは、見えるものも見ますけれども、見えないものに目を注ぐ!“私たちは落胆しません。たとえ私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。” 例えれば植物の成長に似ています。昨日より今日、新しく成長して伸びている。私たちも、昨日より今日、以前より今、神様のこと、イエス様の恵み、聖書の真理をより深く、広く、新しく知って、体験して、日々恵みによって新しくされている!17~18節。確かにこの体にあって、この地上にあって、しばし苦しんでいるけれども、それは一時のもの。やがて天国で与えられる栄光は、比べものにならない!
3.ゴールを目指して
私たちが信じているものは、全て目に見えないものです。父なる神様も、イエス様も今は見えない、聖霊も見えない、永遠の命も、天国も、未来も、再臨も。でも見ている!どうやって?「聖書」というメガネ、レンズを通して、「信仰の目」で見ている!だから、目に見えない永遠のスゴイものを、見ることが出来る!パウロもいつも天に目を留めています。5:1~7。今はまだ天国に行ってないけれども、保証として聖霊様が共にいてくださる!だから地上にいても心強い。でも、やっぱり早く天国のイエス様の所に行きたい、それがパウロの本音でした。8節、“むしろ肉体を離れて、主のみもとに住むほうがよいと思っています。” 先週は「教団70周年の集い」が持たれました。創立の御言、出エジプト33:14 “わたし自身が一緒に行くであろう。そしてあなたに安息を与えるであろう。” 先輩方の後に続き、見えないものに目を注いで、最後まで歩んで行きましょう!