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すべてのわざには時がある

50代・女性

 姑が脳梗塞で寝たきりになり、介護の真っ最中、心身ともに疲れていた頃に出会ったのがハワイアンフラです。肩こりからの頭痛、腱鞘炎、腰痛などで、かかりつけのお医者様に、体を動かす趣味を持ってみたらどうかと勧められました。ちょうど教会の友人から、ゴスペルのフラなんかもあるらしいよと誘われたので、近所のスーパーの会議室での体験レッスンに一緒に行きました。美しい音楽と優雅な動きとは裏腹に、フラには厳しい歴史背景などがあり、知れば知るほど興味をそそられ、のめり込んでいきました。姑は私が家を空けることに大きな不安をもっていたので友人とランチなどで出かけることもままならなかったのですが、教会に行くことと、フラに行くことだけは反対しませんでした。不思議です。


 姑が天に召されたのち、子どもたちにも手がかからなくなり、ぽっかりと時間ができました。何か仕事でもと思い、介護ヘルパーの資格をとったりもしましたが、最終的に用意されたのはなんとフラを教える先生の立場!当時の牧師先生に、自分の子供たちに教えて欲しいと言っていただき、教会の礼拝堂で教え始めることになったのがきっかけです。そこでは子どもとママが一緒にフラを習える親子クラスとしてスタートしたのですが、その後、地域の子どもたちがたくさん集められて子どもだけのクラスもでき、今に至ります。体調が悪くなることを通してフラに出会わせていただき、新しい世界がもたらされました。姑が倒れ、介護の生活を経験していたときに、誰がこのことを想像できたでしょうか。驚くばかりの恵みなりき!です。そして、いつかハワイの先生から本場のフラを習ってみたい!という漠然とした夢のような思いも実現されました。しかも、出会ったその先生がクリスチャンであると知ったときには、心の底から計り知れない主の計画にひれ伏したのです。

しかし、聖書に書いてある通り
「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」のである。(コリント人への第一の手紙2章9節)

 レッスンの前と終わりにはお祈りをするのですが、何もわからない子どもたちが大きな声で一緒にアーメンと言ってくれます。ママたち情報によると、フラ教室ごっこというのがあり、先生役の子は、私が言うお祈りもそのままちゃんと再現するそうです。驚いたのと同時に身の引き締まる思いでした。


 私が初めてキリスト教なるものを耳にした中学生の時には、訳のわからない世界だったのに、30年近く経って救われ、今このように神様と共に歩んでいます。今は何もわからないこの子どもたちもいつかきっと、創り主なる神様、救い主イエスキリストに出会って救われてくれることを祈り続けたいと思います。

天が下のすべてのことには季節があり、すべてのわざには時がある(伝道の書3章1節)
神のなされることは皆その時にかなって美しい。(伝道の書3章11節)

2018年10月

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