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卵巣を失って得たかけがえのないもの

30代・女性

 私は2016年の夏、31歳のときに右の卵巣の摘出手術をしました。卵巣嚢腫と呼ばれる病気でした。第2子を出産して3ヶ月後のある朝、下腹部に痛みを感じました。夫は県外に出張中で不在だったので、2歳の娘と生後3ヶ月の息子を安全なところで遊ばせ、しばらくやり過ごしていましたが、ついに痛みは陣痛レベルにまで達し、これはおかしいと思って救急車を呼びました。実家は遠方、引っ越したばかりで近所の人ともまだ親しくなく、すぐに誰かに子どもたちを預けることができなかったため、3人一緒に救急車に乗り込みました。教会に連絡すると、すぐに土屋先生が搬送先の病院に駆けつけてくれ、子どもたちを見ていてくれることになったので少しホッとしました。CTを撮ってもらうと、右の卵巣が15センチの大きさに腫れていることがわかりました。激痛の原因は、卵巣を支える靭帯が、卵巣の重みに耐えられなくなってねじれる、というものでした。この前、里帰り先で産後検診をしたばかりだったので驚きました。見落としが無かったとすれば、3ヶ月弱のあいだに大きくなったことになります。医師から『短期間のうちに急成長する場合は悪性のガンであるケースが多い』と告げられ、目の前が真っ暗になりました。卵巣は体の奥にある臓器なので、検査で細胞を採取することができず、手術で取り出して病理検査をするまで良性か悪性かわかりません。肝心なことがわからないまま、13日後に手術が決まりました。そして、次に靭帯がねじれたら卵巣が破裂して緊急手術になるだろうと言われました。こうして爆弾をお腹に抱えたまま、手術までの13日間を自宅で過ごすことになりました。


 私の生活は一変しました。常にお腹が痛くて思うように家事ができず、横になっていることが多くなりました。頭の中は病気のことでいっぱいで、2歳の娘が「ママあそぼ」と言ってきても上の空で、スマホばかりいじって、卵巣嚢腫についての記事や闘病ブログを読み漁り、検索魔になっていました。笑うことが無くなり、心は悲しみと不安に支配されていきました。急成長=悪性ガンだと、自分の中で決めつけていたので、考えがどんどんネガティブなほうへ行ってしまいます。とくに、まだ幼い子どもたちのことを思うと胸が張り裂けそうでした。夫は仕事が激務で普段からほとんど顔を合わせることがなく、このときも手助けを求めることは一切できませんでした。抗がん剤治療にでもなったら、子どもたちはどうなってしまうのだろう…もし私がこの世を去ったら、誰が子どもたちを育てるのだろう…可愛い子どもたちの成長を見届けることはもうできないのかな…そんなことばかりぐるぐる考えていました。そして、私がどうしても納得いかなかったことがありました。それは、半年前に洗礼を受けたばかりだったということです。毎日神様に感謝して祈っていたし、これから信仰を成長させていけると思っていた矢先、なぜこんな目にあうのだろう。神様に対して怒りがこみ上げてきて、子どもたちがいる前で取り乱し、泣きじゃくりました。すると娘がびっくりして泣き出したので、私は我に返りました。そして、新しく届いていたDVDのことを思い出してすぐに封を開けました。「この秩序に満ちた世界も生命も、どこから来て、なぜ存在しているのか」がテーマで、美しい自然界や躍動感あふれる生き物たちが映し出されている映像集です。キリスト教関連の新聞広告欄に載っていて気になったので、少し前に注文していたのでした。その中にハチドリの特集がありました。美しくて小さな鳥、ハチドリをご存知でしょうか。その巣は芸術的で、たんぽぽの綿毛やクモの巣などを集めて作られ、内側には最上級のフワフワの綿毛が敷き詰められます。ハチドリは巣の作り方を誰かに教わったことがないのに、作り方を知っているのです。私にはこのことが偶然だとは思えませんでした。私が31年間生きてきて体験した偶然なんてものは、旅先で誰かに会ったとか、その程度のことだからです。ハチドリがこのような特別な能力をもっていることも、毎日食べるものに困らないことも、偶然ではないとすれば、すべては神様の御業によるものです。この小さなハチドリ1羽に焦点を当てたとき、私はそこに創造主である神様のとてつもない愛と優しさを感じました。

二羽の雀が一アサリオンで売られているではないか。だが、その一羽さえ、あなたがたの父のお許しがなければ、地に落ちることはない。あなたがたの髪の毛の一本残らず数えられている。だから、恐れるな。あなたがたは、たくさんの雀よりもはるかにまさっている。
(マタイによる福音書10:29)

 聖書の言葉が真実なら、神様は私を見捨ててなどおらず、今も私と一緒に、もしかしたら私以上に心を痛めて泣いてくださっているのではないか。先のことはわからないけど、神様が恐れるなと言ってくださるなら、私はこのお方と共に、目の前のひとつひとつに立ち向かっていこうと思えました。


 長かった13日間が終わり、手術は無事成功、病理検査の結果は良性でした。振り返ってみると、息子の妊娠期間に病気が重ならなかったこと、手術の予約枠に偶然キャンセルが出て早く手術が受けられたこと、本来なら20センチの開腹手術だったところを4センチの腹腔鏡下手術で済んだこと、すべてが神様の緻密な計画だったのだと驚いています。心配だった子どもたちのことも、その時々で助け手が現れ、娘も息子も「ママがいない」と言って泣くことは一度もなかったようです。クリスチャンで画家の星野富弘さんの詩に「苦しくてどうしようもない時 いつもうかんでくることばがあった 神様がいるんだもの なんとかなるさ そしていつも なんとかなった」とありますが、本当にそのとおりでした。


 神様がこのような試練をお与えになった理由はわかりません。しかし、ひとつ確実に言えることは、病気になる前よりも神様との関係が深まったということです。納得できないことはたくさんありましたが、不思議と「本当は神様なんていないんじゃないか?もうクリスチャンでいることをやめよう」という気持ちにはなりませんでした。私はこれまで自分が計画したとおりに人生を歩んできました。それは真っ直ぐで何の障害物もない平坦な道でした。自分だけは大病を患うはずがないと心のどこかで思っていました。でも、初めて自分のちからではどうしようもない困難にぶつかり、もしかしたら神様が計画されている私の人生は、必ずしも私が思い描いているとおりではないのかもしれないと気づかされました。私は右の卵巣を失いましたが、神様に感謝しています。それは、この経験を通して、神様が絶対に最善未満のことをなさらないお方だと信じることができたからです。もし明日、事故や大災害で突然この世を去ったとしても、それは私にとって最善な神様の計画なのです。私は、神様の計画がいつも最善であると信じて、天に召されるそのときまで、安心してこの地上での人生を生きていきます。


 最後に、私の大切なみことばをご紹介します。搬送された日の夕方に、牧師夫人である直子先生が駆けつけて、このみことばを握らせてくれました。

主は言われる、わたしがあなたがたに対していだいている計画はわたしが知っている。それは災を与えようというのではなく、平安を与えようとするものであり、あなたがたに将来を与え、希望を与えようとするものである。 その時、あなたがたはわたしに呼ばわり、来て、わたしに祈る。わたしはあなたがたの祈を聞く。(エレミヤ29:11〜12)

2018年10月

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