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いつも共にいて下さる方

土屋開夫師

1.私は、東京の北区田端という所で生まれました。父も母もクリスチャンでした。私は小さい時から非常に心配症で、ありとあらゆる事を心配して恐れていました。まだ何も起きてもいないのに、先々に勝手に恐い事を想像して恐れる子でした(予期不安)。そんな中でも一番恐れていた事は、「死んだらどうしよう…。そして、死んだ後、天国に入れてもらえなかったらどうしようっ、もし地獄に行ったらどうしようっ…」、という事でした。私は子どもの頃、天国に入れる自信がありませんでした。親に連れられて教会学校に行っていましたから、人間は死んだら天国か地獄のどちらかに行く、という事は知っていました。けれどもある時、「自分は悪い子だ、自分の心はきれいじゃない」という事を子どもながらにハッキリ感じました。自分の心は、神様の目の前には汚い・・・だから聖い天国には、自分は入れてもらえない、と感じたのです。具体的には、病弱で皆から大事にされる弟が憎らしかったり、小学校で、顔にシミやホクロの多い女の子を、皆と一緒にバイキン扱いしたり・・・。それで自分が天国に入れない、と分かってから、前にもまして恐れと不安の毎日でした。精神状態も「うつ」状態だったと思います。何を考えても悪い方に考え、何を見ても泣く。毎日のように泣いていました。心の中で「助けてっ」という思いでした。


2.そういう私の姿を両親が見るに見かね、心配して、教会の親しいおばさん(信仰の先輩)に家に来てもらいました。そして、そのおばさんは私にこう強く言いました、「開夫くん、今こそイエス様を信じる時よ!」その頃の私には、誰の言葉も、親の言葉さえも心に届きませんでした。でも、その時の言葉は、神様がおばさんを通して私に語っているように思えました!「イエス様に希望があるっ」と。今までも、イエス様の事や十字架の話は教会学校で何回も聞いていました。つまり、神の御子イエス様が十字架での上で死なれたのは、全ての人間が、自分を造られた神様から離れて好き勝手に生きている、その罪の罰を身代わりに受けるためだった・・・、そして身代わりに地獄に落ちて下さり、そして三日目によみがえられた、と。けれども、今まではあまり自分と関係ないように思っていました。自分の罪もよく分からなかったし、全人類の罪の身代わり…と言われても、そこに自分が含まれてるのか、ピンと来ませんでした。ところが、その時に急に分かりました、「そうかっ、このイエス様がボクを救ってくれるんだ。ボクが天国に入れるように、イエス様はボクの悪い心を赦すために、身代わりに十字架にかかって死んでくれたんだ!アレはボクのためだったのか」と、初めて気づいたのです!それで、「信じます、信じます!神様、ボクの悪い心を赦して下さい。イエス様の十字架を信じます」と祈り、やがてイースターに洗礼を受けました。その時の気持ちとしては、「あー良かった。これで天国に入れてもらえる」と、本当にホッとし、安心しました!今までの大きな恐れが、大きな平安に変えられたのです。


3.その時、この聖書のみことばをもらいました。

“見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである。”(マタイ28:20)

 私は恐れやすい子どもでしたが、「これからはイエス様がどんな時も、ずっとボクと一緒にいてくださる」と思った時、更に安心しました。それから今日に至るまで、このイエス様が共にいて下さるという、一事によって生きて来れました!そして、これからもずっと、イエス様と共に生きていくでしょう!


​2018年6月

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