top of page

両手を広げて待っていてくださる方

50代・女性

 私は神戸でクリスチャンホームに生まれ、子どもの時から当たり前のように日曜日には教会へ行く生活をしていました。小さい時から人見知りの私は教会でもなかなかお友達ができなかったのですが、それでも小学生ぐらいまでは両親に連れられて礼拝に出席していました。中学生になって反抗期に入り、学校のお友達に教会へ行っていることを知られるのが恥ずかしく感じるようになり、またそんな事で神様に悲しい思いをさせている自分がイヤになったりして、心の中は不安で一杯でした。そのうち教会へ行くのがイヤになり、何かと理由をつけてはグズグズと用意をして両親とケンカになり、礼拝に遅刻することが増えていきました。ちょうどその頃、新会堂が建ち、私と近い年齢の人達が次々と洗礼を受ける中、私にもそろそろ受洗しませんか?というお話がありました。高校生になっていたわたしは、本当にイヤイヤ教会に行っている状態でしたので、洗礼さえ受ければ親に文句を言われることもないだろう、これでもうゴールなんだ、と間違った考え方で洗礼を受けました。もちろんそんな私を神様は善しとはせず、教会へ行くことは辛いままでした。専門学校に通い始め、日曜日もアルバイトをするようになり、ますます教会から離れていきました。


 その後、学校を卒業して東京で就職しました。それ以来、お正月や夏休みに実家に帰省した時にだけ教会へ行き、東京にいる時は全く教会から離れた生活をしていました。ただ、子どもの頃からの習慣で、寝る前の1日の感謝のお祈りだけは何となく続いていました。実家を離れて10年が経ち、ノンクリスチャンの主人と結婚することになった時、私はどうしても子どもの頃に通っていた神戸中央教会で結婚式を挙げたいと思いました。教会から離れた生活をしているのにも関わらず、私の勝手なお願いで、希望通り結婚式を挙げることができました。その後も相変わらず教会から足が遠のいたままで、両親から教会へ行くように言われても聞く耳を持たない日々でした。


 それからしばらく経った頃、両親が突然、生まれ育った神戸を離れ、弟一家の住む藤沢へ引っ越すと言い出しました。年老いてきた両親が近くに住んでくれるのは安心だけど、終の棲家として十分な家があるのにどうしたものかと考えていた時、東日本大震災が起こりました。海が目の前にある弟の家に被害はありませんでしたが、いつまたあのような大震災が起こるかわかりません。それでもその家に引っ越すという両親の決意は変わりませんでした。そんな両親を見て思ったのです。 「これは全て、教会から離れてしまった私と、まだ洗礼を受けていない弟のために神様が計画された事に違いない!ああ、神様のご計画はなんと大胆なんでしょう!」 その瞬間、何かが胸にストンと落ちました。そして、自分の心の扉を開け、その前にずっと居て下さった神様にやっとしっかり繋がったような気持ちになりました。


 藤沢に来た両親は鎌倉深沢教会に通うようになり、しばらくして「教会に来てみない?」と誘ってきました。今まであんなに教会へ行くのを拒んでいた私なのに、「行こう。」という気持ちになりました。そして、初めて鎌倉深沢教会に足を踏み入れた時、子どもの頃に嗅いだ、神戸中央教会の昔の木造の会堂の匂いと、美味しいお昼ご飯の匂いが混ざり合ったような、何とも言えない懐かしい匂いがしました。神様は私が教会に行きやすいように、素直に神様が大好きだった子どもの頃と同じようにしてくださったのです。そのご計画にもまた驚かされました。こんなに長い間、信仰の道から外れてさまよっていた私を神様は許してまた教会に戻して下さり、本当の信仰生活のスタート地点に立つことができました。子どもの頃から何度も聖書で読んだ放蕩息子のお話は、まさに私の事だったのです。


 私が神様のところに戻るまで、両親をはじめ多くの方々のお祈りがあったに違いありません。私のためにお祈りをして下さった方々に心から感謝しています。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。(ヨハネによる福音書15章5節)

2019年5月

bottom of page