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それでも見捨てない神

この民をエジプトから今に至るまで耐え忍んでくださったように、どうかこの民の咎をあなたの大きな恵みによって赦してください。

民数記14:19

1.モーセのとりなし
 イスラエルの民は、神様が与えると約束されていたカナンの地を目前にしながら恐れと不信仰のゆえに「エジプトに戻ろう。奴隷の生活に」と泣き叫びました。神様はいつまでも不信仰な民をこの場で殺そうと思われました。しかし、モーセが神様にとりなしました。18~19節。このモーセの祈りは勇気のある祈りと言いますか、そこまで神様に言うかと思う程の食らいつく祈りです。モーセがイスラエルの皆を愛していなければ、こんな祈りは出て来ないと思います。


2.イエス様のとりなし
 モーセは、イエス様を指し示すモデルなのです。モーセの姿の後ろに、イエス様の姿があります。私たちは神様に対して不信仰で、御心にかなわないのですから、本当は滅ぼされても仕方がありません。けれどもイエス様はいつも私たちのために「父よ、どうぞ彼らの罪をおゆるし下さい」と祈っていてくださるのです。私たちはクリスチャンになった後でも、どれだけ不信仰でしょうか。神様を信頼する事が出来ず、疑い、不平、不満、兄弟には石の様な思いや言葉を投げつける。けれども私たちが今なお見捨てられず、信仰の旅を続けられるのも、いつもイエス様がとりなしていて下さるからです。


3.見捨てない主
 彼らはその場で滅ぼされる事は免れました。けれども、荒野で40年の放浪の旅をしなければならなくなりました。それでも不信仰を少しでも反省して悔改めるなら40年の遠回りも無駄では無いと言えるでしょう。ところが実際は、この後も相変わらず不信仰と不平ばかりであった事が、16章、20章に記されています。神様もモーセもいい加減、愛想が尽きないのだろうかと思いますが、この不信仰なイスラエルの民と40年間ずっと一緒に歩まれるのです。申命記2:7、“事実、あなたの神、主はあなたのしたすべてのことを祝福し、この広大な荒野でのあなたの旅を見守っていたのだ。この四十年の間、あなたの神、主はあなたとともにいて、あなたには何一つ欠けたものがなかった。”モーセは死ぬまで彼らにつきあいます。ましてイエス様は私たちの罪のためにとりなし、見捨てず、信仰の旅路を最後まで共にいて導いてくださるのです!

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