主に従えば間違いなし
主の契約の箱は三日の道のりの間、彼らの先に立って進み、彼らが休息する場所を探した。
民数記10:33
1.神と共なる旅
今朝も民数記を開きます。300万人程のイスラエルの民が「約束のカナンの地」を目指して旅をしていく訳ですが、神様は彼らがどこかに宿営する時も、また移動する時も、その中心におられました。神様が共にいる印、契約の箱を旅の真ん中に置くようにされたのです。(3章以降には、この契約の箱や幕屋の器具を管理するレビ人の人数を登録し、また運び方の具体的な指示が記されています。)申し上げたい事は、私たちが人生の旅をするのは、他の人と同じように旅をしているのではなく、神を信じる者が、神に導かれ、神の国を目指して、神と共に旅しているのです!神の民として人生の旅をしている事を、忘れないで下さい!
2.神の雲の導きによって
さて、では、いつ、どのタイミングで移動したり留まったりすればいいのか?9:15~23。“いつでも雲が天幕から上るときには、その後でイスラエルの子らは旅だった。また、雲がとどまるその場所で、イスラエルの子らは宿営した。”この幕屋の上の「雲」がイスラエルを導いた。分かり易い目印です。しかし、どうでしょう。雲が動けば「やーれ、また移動だ」。雲が停まれば、そこに停まる。悪い言い方をすれば、神様に振り回されてるようにも思えます。これは結構、大変だと思います。神様が「旅の予定表」を渡してくれるならまだしも・・・。誰でも、自分の人生を自分の進みたいように進みたい。ですから、自分の人生の計画表に沿ってではなく、神様の導かれるように進むというのは、よっぽど神様に任せる心が必要です。けれども、一見無駄に思える「停まる」という事が、神様と深く交わる大切な時だったりします。三浦綾子さんは十年以上も病院のベッドに釘付けになっていた時に、イエス様を信じて救われた。結婚相手も与えられた。また苦しみを味わったからこそ、素晴らしい小説を書く事が出来たのでしょう。
3.あなたに安息を与える
最後に10:29~32まで読んでみましょう。「主の契約の箱は…彼らの先に立って進み、彼らが休息する場所を探した。」勿論、私たちの最終的な安息の場所は「天国」です。けれども、そこに向かう地上の旅の間も、神様は私たちに先立って行って下さり、安息の場所を、その時その時、導いて下さるのです!