父母の祈り
愛する者よ。あなたのたましいが幸いを得ているように、あなたがすべての点で幸いを得、また健康であるように祈ります。
Ⅲヨハネ1:2
1.なぜ恵まれているのか
人間は非常に自分本位に物事を考えます。ある時、こんな事を考えました。「私はとても恵まれ、また守られているなあ。なぜだろう?やっぱり私が素晴らしいからだろうか?」「いや待てよ。冷静に考えると、それほど素晴らしくないぞ。弱点も色々ある。決して威張れる程の者ではない。じゃあ、なぜ恵まれているのだろう?」そう考えた時に「これはもしかしたら、祈られているからなのか?」と気づいたのです。いっぱい色んな人に祈ってもらってるお陰なのかも知れない。もしそうだとすれば、自分を誇れない。私を愛してくれている人たちの祈りのお陰だ!
2.誰の祈り?
じゃあ誰が祈ってくれているのだろう、と考えたら、それはまず両親でしょう。1~2節を読むと「愛するガイオへ」「愛する者よ」と。どんな祈りが最も天に届くかと言えば、それは愛のこもった祈りほど聞かれるでしょう。とするなら、子どもを一番愛している親の祈りで毎日祈られているなら、それは最も強力な祈りです。しかしよく考えると、両親だけじゃない。天国に行った祖母も祖父も、あの先生もこの先生も、あの人もこの人も、あの友達も・・・、そう考えたら、とてもたくさんの人に祈られている。しかも、自分を愛してくれている方々によって祈られているとすれば、そりゃあ守られない筈はない、恵まれない筈はない。ヘブル12:1「このように多くの証人たちが、雲のように私たちを取り巻いているのですから、私たちも、一切の重荷とまとわりつく罪を捨てて、自分の前に置かれている競争を、忍耐をもって走り続けようではありませんか。」
3.私たちも祈ろう
祈りは目に見えないので、本当に意味があるのか、と思うかも知れない。けれども当り前ですが、祈りは効果がありますね!祈りは植物に毎日水をやる様なものかも知れません。何も起きていないように見えても、見えない土の下で、根っこが伸びている事でしょう。祈られている事を感謝しましょう。しかし祈ってもらうばかりではいけません。私たちも誰かのために愛を込めて祈る!その祈りは確実に天に届きます!そして祈った人だけが、共に喜ぶことができるのです!3~4節。