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神の愛から離すものは無い

だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危難ですか、剣ですか。

ロ-マ8:35

1.神の永遠の愛
 前回は<クリスチャンを生み、育てる聖霊>という題で御言をお伝えしました。「あなたがたは・・・子とする御霊を受けたのです。」(8:15)ところで、親の愛というのはいつまで続くものでしょうか?小学校に入るまでか、義務教育が終わるまでか、会社に就職して自立するまでか?いいえ、親の愛はずーっと続く訳ですね。その子が40歳になろうが、60歳になろうが、わが子である事は変わらない。離れていても、親は子どもの事をずっと愛し続ける訳です。ましてや、私たちの魂の生みの親である神様の私たちへの愛は、途中で無くなるとか、変わる筈があるでしょうか。いったん神の子どもとして生まれたならば、ずーっと永遠に、神様は私たちを「子ども」として愛し続けて下さる訳です!


2.神が味方
 “神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。”親というのは、どこまでも子どもの味方です。ましてや父なる神様は、どんな時も私たちの味方です。「だから心配しなくていいのだ」とパウロは言います。“ご自分の御子さえも惜しむことなく死に渡された神が、どうして、御子とともにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがあるでしょうか。”32節。


3.だれが主から離すのか
 このような大きな神様の愛、またイエス様の愛から、私たちを引離すものがあるだろうかとパウロは言っています。“だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。”35節。パウロはここに記されている全ての苦しみを味わいました。けれども「主は私のために十字架の苦しみを耐え忍んでくださった。そんなイエス様から、何が私を引き離せるものだろうか」と言うのです。教区の「証し会」に出た時、「人生には色んな大変な事があるんだなあ」と改めて思いました。では、その方々がイエス様の愛から離れたかと言うとそうではなく、むしろ苦しみ悩みによって信仰が成長し、神様の愛をより実感されたのです。“しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。”どんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。

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