我らをおゆるし下さい
「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、自分が何をしているのかが分かっていないのです。」
ルカ23:34
1.誰の罪
今週は受難週です。イエス様は十字架の上で「七つの言葉」を言われましたが、その最初の言葉がこれです。“「父よ、彼らをお赦しください・・・」” 今年ほど、この言葉に重みを感じる時はないと思います。2000年前、イエス様がこの十字架に架かられた時、勿論、目の前に、また周りに、多くの罪人がいました。 けれどもイエス様の目と心に映っていたのはそれだけでは無かった筈です。イエス様は神の御子ですから、現在だけでなく、過去も、未来も見通す事が出来た筈です。 という事は、今の私たちの世界をも見通す事が出来たでしょう。 第一次、第二次大戦で、戦争の悲惨さを散々経験した筈なのに、また同じ過ちを繰り返している。イエス様はその全てを見るだけでなく、ご自身も今まさに殺されようとしながら、その痛み、苦しみ、悲しみを全身全霊で感じられた事でしょう。
2.父よ
けれども、イエス様が言われた言葉は、「父よ、彼らをおゆるし下さい。」 「父よ、この罪深き、残酷な人間たちを、みな滅ぼして下さい」とは祈らなかった・・・。全ての人間の、私たちの罪をよくよく分かった上で、体でその罪を受け止め、心でその罪を充分味わいながら、「父よ、彼らをおゆるしください。」と祈られた。
3.我らの罪を
皆さん、ロシアの大統領を見ながら、「死ねばいいのに」と思うでしょ? 北朝鮮の指導者も「あんな酷いヤツ、誰か殺せばいい」と思うでしょ? そう思う私たちも「同類」なんじゃないでしょうか? それとも、自分は生きる資格のある善良な人間だと思うでしょうか? 私たちの心はそんなにキレイですか? 私たちは小さな戦争を隣人としていないか? Ⅰヨハネ3:15、“兄弟を憎む者はみな、人殺しです。” イエス様が十字架に架かられたのは、一部の極悪人の罪のためではない。アイツは罪人だが私は善良だ、なんて誰も言えない。私たちは誰も悲しませた事が無いだろうか? イエス様が十字架は、一人残らず私たち全員の罪のためだという事です。 イエス様は「彼らを」と祈られた。それはイエス様には罪が無いからです。けれども、私たちは他人ごとのように「彼らをおゆるし下さい」とは勿論、祈れない。 私たちが祈るとするならば、「父よ、我らをおゆるし下さい」という祈りです。
