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イエスと弟子、心の違い

イエスは彼らの心にある考えを知り、一人の子どもの手を取って、 自分のそばに立たせ、彼らに言われた。「だれでも、このような子どもを、 わたしの名のゆえに受け入れる人は、わたしを受け入れるのです。」

ルカ9:47~48

1.ヨハネの高ぶり
 福音書を読んでいますと、イエス様の心と弟子の心というのは、非常に温度差があると言うか、最初、弟子たちはイエス様の気持ちを全然分かっていないのです。前回イエス様はペテロ、ヨハネ、ヤコブの3人だけを特別に山に連れて行かれ、「神の御子」の光り輝く栄光の姿を垣間見せて下さいました。なぜ、この3人だけ選ばれたのか。今の彼らというより、将来を見越しての事だったかも知れません。

2.幼子を受け入れるように
 けれどもここからです。自分にあてはめて想像して下さい。「自分は特別に選ばれて、すごい体験をさせてもらった・・・」と、天狗になるんじゃないでしょうか?この時のヨハネも、素晴らしい経験をした事により、高ぶりの誘惑がありました。 “さて、弟子たちの間で、だれが一番偉いかという議論が持ち上がった。” あの3人の内の誰かがこの話を始めたのかも知れません。そんな醜い争いをさせるために弟子を選んだのではない。イエス様はため息をついたかも知れません。(口語)“イエスは彼らの心の思いを見抜き、ひとりの幼な子を取りあげて自分のそばに立たせ・・・” 人間、高ぶると、弱い人を受け入れられなくなるのではないでしょうか。 自分は優秀な人間、強い人間、ちゃんとしてる、と思ってる人は、そうでない人を受け入れられなくなる。 「なんだ、このダメな弱い人は」と。それこそ幼な子というのは、小さい、弱い、すぐ泣く、甘える、まだ何も出来ません。でもイエス様は幼な子を愛されました。幼な子だけでなく、大人でも弱い。でもイエス様はその人の存在を大切に思って、愛して、受け入れなさる訳ですね。

3.イエス様の心を
 しかし一度言われたくらいでは変わりません。49~55節のヨハネの姿を見ると、その心の狭さは酷いものです。後に「愛の使徒」と呼ばれる人とは思えません。私たちは心が狭いので、人を心から排除しようとしやすいけれども、イエス様は、神の大きな広い心と愛をもって、幼子も、弱い人も、どんな罪人も救われて欲しいと願っておられる! だから私たちも受け入れられ、救われたのです。イエス様の、人を愛する心、人の救いを願う心を与えていただきましょう!

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