主のおいでに備えて
去れ、去れ。そこから出て行け。汚れたものに触れてはならない。その中から出て行き、身を清めよ。主の器を運ぶ者たちよ。
イザヤ52:11
1.天活
アドベントは主の再臨を待つ時でもあります。「終活」という言葉がありますが、私たちは「天活」、つまり「天に帰る備え」をしないといけません。1~2節“目覚めよ、目覚めよ・・・ちりを払い落として立ち上がり、元の座に着け、エルサレムよ。あなたの首からかせを振りほどけ、捕らわれの女、娘シオンよ。”これは直接には、バビロンからイスラエルが解放される預言です。でも、もう一つの意味は、私たちがこの世から解放される時が来る、という事を預言しています。聖書の中で「バビロン」というのは、象徴的に「この世の国」を指しています。そして「エルサレム」というのは「神の国」を象徴します。イエス様が私たちを迎えに来られるというのは、言うなれば、この世というバビロンから、神の都エルサレムに帰るという事です!「その首のかせを解き捨てよ、ちりを、泥を、ほこりを払い落とせ!もう帰るぞ!エルサレムに!故郷に!我が家に!天国に!」と。
2.福音を知らせておく
ですから、なんとかして幾人かにでも福音を伝えておかねばならないのです!7節(口語)“良きおとずれを伝え、平和を告げ、良きおとずれを伝え、救を告げ、シオンに向かって「あなたの神は王となられた」と言う者の足は山の上にあって、なんと麗しいことだろう。”8節(口語)“見張り人”10節、“地の果てのすべての者が私たちの神の救いを見る。”
3.身を清め、備える
その時が近づいてるという事は、そのために心を整えていなさいという事です。11節、“去れ、去れ、そこから出て行け。汚れたものに触れてはならない。その中から出て行き、身を清めよ。主の器を運ぶ者たちよ。”バビロンには偶像も、汚れた悪い習慣も色々あったでしょう。イスラエルの民も悪影響を少なからず受けていたでしょう。私たちも、神の子どもであるけれど、この世の罪の影響を受けてしまっている面があるでしょう。けれども、イエス様が天から迎えに来る日が近いとするなら、この世の汚れた物に触れてはいけない!そうして心の準備も整えられ、蒔くべき種も蒔き、やれるだけの事をやったなら、主のおいでが近くても、何も恐れる事も、慌てる必要も無いのです。12節。
