何のために生きるのか
だれでも わたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、 日々 自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。
ルカ9:23
1.何のために生きているのか
皆さんは何を人生の使命として、目標として生きているのでしょうか? 生かされてるという事は、何か意味がある筈です。何かをするために生かされてる。 イエス様は、自分の使命・役割について、ぶれていませんでした。天の神の御子が人間になって地上に来られた。地上での人生は33年半ですから、非常に短い。けれども、その短い時間をどう生きるか、何のために使うか、自分の人生の使命をちゃんと分かっておられました。
2.自分の使命を日々確認
イエス様はよく祈りをしていました。13節。それは、自分の使命、するべき事を毎回、父なる神様に聞いて確認していたのでしょう。だからぶれない。 イエス様にも誘惑があります。人々の色んな声、色んな期待や要求・・・、けれども「いや、私は人々の目先の必要ではなく、もっと重要な必要、彼らの救いのために父から託されたその使命を果たさねばならない」といつも確認していたでしょう。 その後、人々の声を聞いてみました。今ならSNSで聞くのでしょうか。「群衆はわたしのことを誰だと言っていますか」。 群衆は、預言者の一人と思っていた。 「あなたがたは、わたしをだれだと言いますか。」・・・「神のキリストです。」 ところがイエス様は「このことをだれにも話さないように命じられた」。なぜなら群衆は「救い主」に違う期待を持っていたからです。この世の政治的リーダー、王を求めていました。結局、人間が求める事は、全部この世的なものなんですね。 でもイエス様の使命はぶれなかった。「人の子は多くの苦しみを受け、長老たち、祭司長たち、律法学者たちに捨てられ、殺され、三日目によみがえらなければならない、と語られた。」全部分かっていました。自分の役割、それによって全ての人の救いの道を開く事こそが救い主としての自分の使命。 どんなに周りがヤイヤイ言おうと、民衆が勝手な期待を持とうと、時代の風がどう吹こうと、揺るがない。
3.あなたの使命は
では、あなたの使命はなんでしょうか?“だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、日々自分の十字架を負って、わたしに従って来なさい。” お一人お一人、父に聞いて、自分の十字架を負ってイエス様についていきましょう。
