悔い改めを願われる主
わたしは、だれが死ぬのも喜ばないー神である主のことばー。だから立ち返って、生きよ。
エゼキエル18:32
1.罪を指摘するのは
エゼキエル書などの預言書を見ますと、神様が人々の罪を責めている箇所が多くあります。罪を指摘されるのは誰でも嫌です。けれども、それはその人が自分の罪を自覚して、神様に立ち返り、「生かされるため」なのです。「生きよ」という言葉が、今日のキーワードだと思います。
2.愛の裏切り
16章を読みますと、神様がいかにイスラエルを愛しているか・・・一人の女性のように例えています。元々、誰にも愛されない、捨て子の様な状態だったイスラエルの民、死にかけていたところを、見出し、愛し、育て、生かした。この辺りは出エジプトの頃を言っているんではないかと思います。やがて美しい女性になり、主なる神様は契約を結んだ。結婚の様なものです。16:1~8。ところが15~22節。読むに耐えませんが、要は結婚相手である神様を裏切り、あらゆる男、あらゆる偶像と浮気をした、姦淫を行ったという訳です。もはや遊女のようになってしまった。あのソドム・ゴモラの町以上に堕落してしまった。48。神様にとっては最も悲しい、愛の裏切りだ。これは何もイスラエルの事だけではないでしょう。全ての人間が神様の元を離れて、その様になってしまったのです。18:4「罪を犯した魂は必ず死ぬ。」(口語)
3.生きよ
けれども、このエゼキエル書全体のテーマは「聖霊によって、もう一度生き返る」というです。完全に堕落し、完全に死んだ様な者に、もう一度、新しい命を与える。18:23、“わたしは悪しき者の死を喜ぶだろうかー神である主のことばー。彼がその生き方から立ち返って生きることを喜ばないだろうか。”18:31、“新しい心と、新しい霊とを得よ。”新約的に言うなら、救い主イエス様の救いを信じて、聖霊によって、魂を新しく造り変えて戴きなさい、という事です。今の世界を見る時、ともすれば、神様は人類を怒り、憎み、滅ぼそうとしておられるんではないかと思うかも知れません。そうではない、愛している、全ての一人一人を愛しておられる、どんな罪人も。だから罪を認め、悔い改めて、立ち返って欲しい、だれが死ぬのも喜ばない、生きよ!と、願っておられるのです。
