本当の預言と偽りの預言
あなたがたは、主の日の戦いに耐えられるように、破れ口に上ったり、イスラエルの家の石垣を築いたりしなかった
エペソ13:5
1.語り続ける神
ティーンズキャンプや青年宣教大会が続けてもたれましたが、若い人の良い所は心がまだ柔らかい、という事でしょう。大人になると、だんだん頑固になります。でも神様は諦めずに、何度でも語り続けられます。聞く耳を持つ人は幸いです。“もしかしたら、彼らに自分たちが反逆の家であることが分かるかもしれない。”
2.警告を軽んじる民
21~28節には、イスラエルの民が、神様の言葉を軽んじ、預言者の言葉を聞かず、自分に都合のいい勝手な期待を持っている事が記されています。“日は延ばされ、すべての幻は消え失せる。”預言者は口やかましく、「審きが来る、エルサレムの滅亡が来る」と預言するけれども、そんな事は当分起こらない。起こるとしても、はるか先の事だろう、今の俺たちには関係がない、と。けれども、神様の言葉、聖書の言葉は、間もなく一言一句残さず実現します。“その日は近づき、幻のすべては実現する。”“主であるわたしが語り、わたしが語った事を実現し、決して引き延ばさない”“もはや引き延ばされることはなく、必ず成就する”
3.破れを繕う者
偽の預言者たちは、ちゃんと警告をせず、耳ざわりの良い事を言いました。10節、“実に彼らは、平安がないのに「平安」と言って、わたしの民を惑わし、”再臨の近い今、信仰の目を覚ますように警告する役目が私たちにもあります。5節“あなたがたは、主の日の戦いに耐えられるように、破れ口に上ったり、イスラエルの家の石垣を築いたりしなかった。”建物にヒビが入っていたり、壊れかかっているのに「まあ、大丈夫でしょう」と言うのか。信仰にヒビが入っているなら、やがて壊れるとするなら、そのためにとりなして祈る、言うべき言葉を言う、あるいは薬を塗る、それが本当の預言者、本当のクリスチャンではないかと。崩れた石垣では、主の審きの日に耐えられない、崩れた祈りの祭壇では、主の日に耐えられない、破れた皮袋では、破れた衣では、主の日に耐えられない。たとえ耳に痛くても、真実を語るもの、破れを繕う者とさせて頂きましょう!
