ゆるしと試し
その日、ダビデの家とエルサレムの住民のために、 罪と汚れをきよめる一つの泉が開かれる。
ゼカリヤ13:1
1.きよめる泉
前回12章では、イエス様が世の終わりに来られる時、世界中の誰もが「ああ本当にこのイエスというお方は、神の御子だったんだ!」と悟る。特にユダヤ人たちがそのイエス様の姿を見て、自分たちの罪を嘆くというのです。12:10~14。しかし、そのすぐ後の節に素晴らしい事が書いてあります。13:1。十字架のイエス様のわき腹をローマ兵が刺した時、「すぐ血と水が流れ出た」。(ヨハネ19:34)それが「泉」を象徴している訳ですけども、イエス様が私たちの罪の身代わりに流して下さった「血」というのは、罪汚れのない本当にきれいな血です。その血と水が、私たちの罪の汚れを洗い流すのです。世の終わりの時、多くのユダヤ人が自分たちの罪を示されて本当に悔い改める。そして救いが与えられる、というのです。イエス様のゆるしと救いというのは、自分の罪を本当に認めた人、本当に悔い改めた人に、とても近いのです。
2.信仰を試される
さてこの章にはもう一つの事が書いてあります。それが「信仰の試し」。救われた私たちの信仰は、また必ず試されるという事です。それは本物が残るため、また、鍛えるため。銀や金を純度の高いものにするため、不純物を取り除く。9節“わたしはその三分の一を火の中に入れ、銀を練るように彼らを練り、金を試すように彼らを試す。”“彼らはわたしの名を呼び、わたしは彼らに答える。わたしは『これはわたしの民』と言い、彼らは『主は私の神』と言う。”
3.最後まで耐え忍ぶ
今、この終末の時代にあって、全ての人が試されているとも言えるでしょうし、特にクリスチャンは信仰が試されるでしょう。悪魔のあらゆる誘惑も巧妙になっている。“選ばれた者たちをさえ惑わそうとする”(マタイ24章)とある通りです。“しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われる。”とあります。イエス様の罪と汚れをきよめる泉によって赦された、救われた、良かった!けれども、その信仰を最後まで、どんな事があっても持ち続ける事、イエス様から離れないでつながり続ける事です!イエス様の命の泉を心に受け続け、清められ続けて行きましょう!
