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喜ばれる献げもの

その時ユダとエルサレムとのささげ物は、昔の日のように、 また先の年のように主に喜ばれる。

マラキ3:4(口語)

1.もし今、主が来られたら
マラキ書のテーマを一言で言うと「神を敬う心をもって、主のおいでに備える」という事だと思います。この時のイスラエルの人々は、神様を恐れ敬う気持ちを殆ど失っていました。形だけの礼拝、形だけの献げものはありましたが、気持ちはありませんでした。そして結婚や人間同士の関係においても、相手を尊重しない、大切にしない・・・そのようになっていました。そんな状態の彼らの所に、もし突然、イエス様が尋ねて来られるとしたら、どうでしょうか?今日、もしイエス様があなたの家に、あなたの部屋に、家庭訪問に来られるとしたら、どうでしょうか?きっと慌てる事でしょう。

2.純金にするために
 ところがイスラエルの人々は高をくくっていました。2:17“いったい、さばきの神はどこにいるのか”と。けれどもイエス様は「たちまちに来る」(口語訳)と言われています。“あなたがたが尋ね求めている主が、突然、その神殿に来る。・・・だれが、この方の来られる日に耐えられよう。だれが、この方の現れるとき立っていられよう。まことに、この方は、精錬する者の火、布をさらす者の灰汁のようだ。この方は、銀を精錬する者、きよめる者として座に着き、レビの子らをきよめて、金や銀にするように、彼らを純粋にする。”イエス様は「火」のようなお方。私たちの信仰が純粋な「金」ではなく、罪や不信仰の不純物が混ざっているなら、イエス様は私たちの心を清め、純粋な信仰だけが残るために、火のような試練を通らされるというのです。1章に書かれていたように、彼らは主に喜ばれない献げ方をしていました。けれども、火のような厳しい試練を通らされる事により、純粋な信仰となり、その献げものは、主に喜ばれるものとなる!主に喜ばれる礼拝となる!しかし、もはや信仰を捨てるなら、主に裁かれる事が5節に記されています。“わたしは、さばきのためにあなたあたのところに近づく。”

3.主の日に備えて
 主が再び来られるその前に、たとい火を通してでも、私たちの心から不純物を取り除いて頂き、純金のように清められて、主のおいでに備えさせて頂きましょう!

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