心が硬くなる危険
彼らは心を金剛石のようにし、万軍の主がその御霊によって先の預言者 たちを通して送られた、みおしえと みことばを聞き入れなかった。
ゼカリヤ 7:12
1.何のための涙か
70年間の懲らしめの期間が過ぎ、イスラエルの民はバビロンから解放され、故郷に帰り、再出発をしようとしていました。そんな中、ある人たちが一つの質問をしにゼカリヤや祭司の元にやってきました。「これからも断食すべきでしょうか」と。イスラエルの人々はバビロンに捕えられていた間、年に4回の断食の時を持っていたのです。それは国がバビロンによって滅ぼされた悲しみを覚えるためでした。でももう解放された訳だし、嘆き悲しむ記念日は要らないんじゃないかと。それに対する神様の答えは、4~6節。“この七十年の間、あなたがたが、第五の月と第七の月に断食して嘆いた時、本当にこのわたしのために断食したのか。”「涙」には色んな涙があると思います。「ああ自分たちはなんて酷い目に会ったんだ」と泣いているだけで、その原因である自分の罪を悔いて泣いてはいないではないか!と。自分の不幸は悲しんでも、神の前に自分の罪は悲しまない!
2.柔らかな心
そして形式的な断食より、実際の生き方が重要だと言うのです。ウソのない真実な生き方。互いに愛し合い、憐れみ合う事。弱い者を苦しめるな。悪を企むな、と。“ところが、彼らは聞くことを拒み、肩をそびやかし、耳を鈍くして聞きいれず、その心を金剛石のようにして、万軍の主がそのみたまにより、さきの預言者によって伝えられた、律法と言葉とに聞き従わなかった。”11節(口語)子どもの心は柔らかくて素直です。人間は歳をとるほど、体や頭だけでなく、きっと心もどんどん硬くなっていくのでしょう。神様の言葉に対し、自分で耳と心を鈍くしてしまうなら、遂には金剛石(ダイヤモンド)のように硬くなってしまう。けれども歳老いてなお、主の前に、幼な子の様に素直に、主の前にひれふす心を持つ事も出来るのです!“この幼な子のように自分を低くする者が、天国でいちばん偉いのである。”マタイ18:4。もし主の前に心が無感覚になってきている、恵みも喜びも感謝も愛も無くなっているとするならば、主の前にひざまづき、悔い改めるべき事を悔い改め、頑固な心を柔らかくして頂きましょう!
