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神の言葉の鋭さ

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、 関節と骨髄を分けるまでに刺し貫き、心の思いやはかりごとを見分けることが できます。

ヘブル 4:12

1.神の言を配る
 「秋のトラクト配布」を皆さんにして頂いています。こういうトラクトを配ったり渡したりする時、多少なりともためらったり、臆したりするかも知れません。色んなお付き合いの中で、そこそこ仲良くやってるのに、神様の事を言って、また自分がクリスチャンである事を言って、その関係が悪くなるんじゃないかと。そういう「ためらい」が、人々にみ言葉を届ける多くのチャンスを失わせています。人は実はみ言葉を求めています。マルコ6:20でヘロデという悪い王は、バプテスマのヨハネの言葉を“その教えを聞いて非常に悩みながらも、なお喜んで聞いていた(口語)”とあります。複雑な人間の心理ですが、聖なる言葉、聖なる教え、人はその光に触れたい知りたい、と思う心が必ずどこかにある訳です。ところが光に触れると、痛みも感じる訳です、罪人ですから。痛いからこそ罪が分かる、病気が分かる。そして救われなければならないという事が分かる訳です。

2.光の剣
 そのように、御言というのは言うなれば、人の心に射し込む、「光の剣」です!両刃の剣というのは真っすぐで、切るより突く事に適している、と聞いた事があります。ここで神の言葉が両刃の剣に例えられているのは、まさしく御言が、人の心の奥の奥まで鋭く刺し通す事を言わんとしているのでしょう。(口語訳)“神の言は生きていて、力があり、もろ刃の剣よりも鋭くて、精神と霊魂と、関節と骨髄とを切り離すまでに刺し通して、心の思いと志とを見分けることができる。”私たちは、しばしば自分の心に鎧を着ています。自分の罪を隠しています。けれどもそういう心の奥の奥まで、み言葉の光の剣は、鋭く真っ直ぐ射し込んでいく!

3.罪を取り除く、鋭いメス
 けれども、この御言の剣は手術のメスの様なもので、罪の部分を取り除き、癒すためのものです。まず私たちは、この光の剣で、自分の心を照らしてもらわねばならないでしょう。朝になれば太陽の光が射し込んでくる様に、毎朝、自分の心を点検して頂かなければなりません。そして、人が、誰かが罪から救われるために、ためらわずみ言葉を届けましょう!

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