たとえ義のために苦しんでも
義のために苦しむようなことがあっても、あなたがたはさいわいである。彼らを恐れたり、心を乱してはならない。ただ、心の中でキリストを主とあがめなさい。
Ⅰペテロ3:14~15(口語訳)
1.主の目は正しい者の上に
このペテロの手紙のテーマは「苦難」と「希望」です。この二つが繰り返し出てきます。この手紙は迫害に苦しむクリスチャンを励ますために書かれたからです。まずペテロは、地上にある間、神の子どもとして善を行ないなさいと勧めます。10~11節、“いのちを愛し、幸せな日々を見ようと願う者は、舌に悪口を言わせず、唇に欺きを語らせるな。悪を離れて善を行い、平和を求め、それを追え。”世の中がどんどん罪で暗くなっている時代にあって、クリスチャンが周りの罪に悪影響を受けずに、小さくても光り輝くっていうのは、本当に重要です。“主の目は正しい人たちの上にあり、主の耳は彼らの叫び(祈り)に傾けられる。しかし主の顔は、悪をなす者どもに敵対する。”
2.主の足跡に続いて
そのようにイエス様のため、また人のために善を行なっていても、突然、苦難がやってくる事があります。私も教えられている事は、人生には苦しみは必ずある、そして、それは必要なものだという事です。特にクリスチャンがイエス様に従って行こうとする時、イエス様の苦しみ、悩みの一端を必ず味わいます。“誰でもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。”(マタイ16:24)15節に、“ただ、心の中でキリストを主とあがめなさい。”(口語)とあります。あらゆる苦難を味合われたイエス様を「主」と崇め、その足跡に従いなさいと。17~18節、“神のみこころであるなら、悪を行って苦しみを受けるより、善を行って苦しみを受けるほうがよいのです。キリストも一度、罪のために苦しみを受けられました。正しい方が正しくない者たちの身代わりになられたのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、あなたがたを神に導くためでした。”私たちもイエス様について行く時、必ず十字架の苦しみの一端を味わうけども、必ずその後に復活の喜びも味わい、実りを得る、という事です。“万一義のために苦しむようなことがあっても、あなたがたはさいわいである。”
