力ある主イェスの血
まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げになったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから
離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。
ヘブル 9:14
1.真の祭司
前回は「真の祭司」という事についてお伝えしました。人間はその罪によって、神様と断絶してしまった。その間をとりもってくれるのが「祭司」ですが、人間の祭司は不完全です。けれども神の子であり、また人の子ともなって下さったイエス様こそは、神と人とを和解させて下さる「真の祭司」なのです。けれども、祭司だというだけで、神と人との間をとりもてる訳ではありません。なぜなら断絶の理由は、人間が神様に背いた「罪」だからです。ですから祭司は、手ぶらで神様の前に出る事はできません。人間の罪の罰を身代わりに受ける犠牲が必要なのです。それで旧約時代の祭司は動物を犠牲としていました。8:1~3。
2.力ある主の血
けれどもよく考えてみるならば、動物を殺して人間の代わりになるでしょうか?地球上の家畜ぜーんぶの命より、一人の人間の命の方が重いのです。羊や牛をいくら殺したところで、一人の人間の罪さえ赦される筈がありません。これらは全て本物の影、教育モデルなのです。動物の血では、人の罪が赦される事もなければ、人の良心をきよめる事も出来ません。十戒をはじめとする主の律法を守らせる事は出来ないのです。 古い契約ではダメでした(勿論、神様はその事をはじめからご存知でした。) そこで与えられたのが、イエス様の血による新しい契約です! 8:6~13。 新しい契約は、私たちの罪を完全に赦すだけではなく、良心を清めるというのです。 イエス様の尊い血には、その力があるのです!“まして、キリストが傷のないご自分を、とこしえの御霊によって神にお献げに
なったその血は、どれだけ私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、生ける神に仕える者にすることでしょうか。” 9:14
3.きよめ続ける
確かに言える事は、イエス様を信じた人は、心の性質が以前とは確実に変化しています。これがイエス様の血の力、命の力です。 勿論、私たちはまだまだ工事中です。でも、尊い神の御子の 真の祭司の 愛の血が、私たちを更にきよめてくださる事を信じ、今年も一歩一歩、歩んで行きましょう!
