top of page

自分を偽らず、光と交わる

もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。

Ⅰヨハネ1:7

1.光との交わり、私たちの矛盾
 前回からヨハネの第一の手紙を開いています。この手紙のテーマは「イエス様との親しい交わり」という事。イエス様と交わるという事は、「光」と交わる事です。5節“神は光であって、神には少しの暗いところもない。”(口語)ところが6節、“もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであり、真理を行っていません。”日曜に神様を礼拝する自分の姿と、日常生活での心の思い、頭の中で考えている事、口から出る言葉、している行動が違う。「光」であるイエス様を礼拝しながら、日常は罪の闇の中にいるとしたら、そこに矛盾、ギャップがある。しかしこれは大なり小なり、私たちクリスチャンの現実だと思います。日曜から土曜まで、毎日、常に光の中を歩めているクリスチャンはそんなにいないかも知れません。

2.心の健康診断
 けれども、ここが肝心ですが、その光と闇のギャップが自分の中にある、「それで当たり前、仕方ないじゃないか」と、生き方に矛盾のある自分で平気なのか。それとも、そんな白と黒と両方あるシマウマみたいな自分の心ではいけない、と危機感を持つのか。自分の偽り、矛盾に平気になってしまって、感覚が鈍くなったら危険ですね。イエス様を礼拝しながら、心と言葉と行動で罪を犯すのが平気になってしまったら危険です。確かに「光」であるイエス様と交わる、というのは、恐れを感じます。自分の不健康な罪の部分が、レントゲンの光を当てるように明らかになるからです。「愛する者よ、あなたの心のこの部分が不健康です。どうしますか、このまま心の生活習慣を変えないままにしますか。放っておくと危険です。それとも心の生活習慣を改善しますか、悔い改めますか」と。“神が光の中にいますように、私たちも光の中を歩くならば、私たちは互いに交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪から私たちをきよめる。”イエス様は常に私たちの心の健康診断をしてくれるのです。責めるためではない、魂を健康にするため。だから「光」との交わりを恐れる必要はないのです!

bottom of page