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苦しみの主を見上げて

キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うよう、あなたがたに模範を残された。

Ⅰペテロ2:21

1.人から受ける苦しみ
 この世では様々な苦しみがあります。その一つは「上に立つ者によって苦しめられる」という事があるでしょう。私たちの上に立つ人が、優しい理解のある人であれば、その下にいる人は穏やかで幸せですけれども、そうでない場合、非常に苦しみます。どうやら神様は、必ず、私たちの周りにやっかいな人をあえて置かれているようです。それは私たちの成長のためでしょう。

2.不当な苦しみ
 18~19節、“善良で優しい主人だけでなく、意地悪な主人にも従いなさい。もしだれかが不当な苦しみを受けながら、神の御前における良心のゆえに悲しみに耐えるなら、それは神に喜ばれることです。”「不当な苦しみ」。誰かのために真面目に一生懸命やっているのに、しかも、何も不正をしていない。善意で、また愛や親切でやっているのに、苦しみを与えられる、批難される、という時があるでしょう。そんな時、腹立たしい思いになります。けれども「神の御前における良心のゆえに」(口語「神を仰いで」)、「全てイエス様はご存じだ。私の苦しみも、間違ってない事も、一生懸命やっている事も全てご存じなんだ。」と主を仰いで耐え忍ぶなら、それは神様に「喜ばれること。ほめられること」だという事です。悪を行なって苦しむのは自業自得。けれども“善を行なって苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、それは神の御前に喜ばれる”

3.主の後に続いて
 実はそういう不当な苦しみというのは、私たちがイエス様の後に着いて行くため、弟子となるため、十字架の愛を知るために、あえて与えられているというのです。“このためにこそ、あなたがたは召されました。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残された。”23節“ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、脅すことをせず、正しくさばかれる方にお任せになった。”様々な苦しみに会う時に、イエス様が私たちのために味わって下さった苦しみを、少し味わう事が出来ます。そして「イエス様はこの苦しみよりもっと苦しい思いを、私のためにして下さったんだ」と、苦しみの中にも感謝する事が出来るのです。

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