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教会の皆のために

異言で語る人は自らを成長させますが、預言する人は教会を成長させます。

Ⅰコリント14:4

1.賜物とは
 聖書に「賜物」という言葉が出てきます。英語で「gift」。文字通り神様から一人一人に与えられている贈り物です。広い意味では、神様から頂いているものは全て賜物です。「永遠のいのち」も「信仰、希望、愛」も、個性、才能、持ち物も。けれども、ここで大事な事は、その賜物を自分のためだけに使ってはいけない。神様のため、そして教会のために使う、また皆のためにという事です!そのために神様は一人一人に色んな賜物を与えている訳ですから。たとえ、どんなに素晴らしい才能や力があっても、それを自分のためだけに使っているなら意味が無い。


2.異言と預言
 そして「聖霊の賜物」というものがあるのです。12:4~11。それは教会の皆の信仰を助けたり、励ますために一人一人に与えられるものです。今日の14章では特に「異言」と「預言」について言われています。「異言」とは、自分の「霊」が神様に向かって語る、祈るものです。でも、それを周りの人が聞いていても意味が分かりません。そして「預言」という賜物がある。これは普通の言葉です。きっと神様から「この人にこうに語りなさい」と示されるのでしょう。その人の徳を高め、励まし、慰める。つまり、ここで言わんとする事は、4節、“異言で語る人は自らを成長させますが、預言する人は教会を成長させます。”言は誰にも分からん言葉で祈って、当人はいいかも知れないけども、周りの誰にも益にはならない。けれども預言は自分も含めて周りの全体の益となる!5節。例えば、素晴らしい賛美の賜物がある人がいるとして、もしその人がいつも閉じこもった部屋の中で、一人で歌っているとしたらどうでしょう?皆がその賛美を聞けば、皆が恵まれる。その賛美で周りの人の心も引き上げられ、賛美の心になる。「証し」だってそうです。誰にも証ししないなら、自分一人だけの恵みです。


3.あなたの賜物を皆のために
 教会はそういう事を目指しています。一人が良ければいいんじゃない。一人だけ恵まれても意味が無い。誰か一人の信仰が成長する事も素晴らしいけれども、教会全体の信仰が成長する事の方が願わしい。だから、愛が何より大事なんです!皆さんの素晴らしい賜物を、教会のため、愛をもって、ぜひ用いてください!

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