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「私は道であり、真理であり、命である」

男性

 僕が初めて教会に通ったのは小学生の頃でした。カトリック教会でした。教会の礼拝堂で母から「教会に通うかい?」と言われ、快く通うことにしました。小学校時代はイエス様を信じていましたが、洗礼は思い浮かばずでした。ちょうどその頃、スペースシャトルの試験が行われて、いずれは宇宙の仕事に就きたいと漠然と思いました。学校も教会も頑張っていましたが、中学受験の勉強が忙しくなり、イエス様は信じていたのに、どうしたことか教会に通うのをやめてしまいました。6年生の卒業の時に卒業文集で将来は天文学者になると宣言しました。

 中学時代から成績は良く、高二中退までは選抜ク ラスで、希望を持っていましたが、心の病を患い、高二で中退することに。高校時代、なぜか文系より理系の勉強の方が偉いんだと思い、心からイエス様を遠ざけていました。高一頃から成績が急降下し、高二時代は何とか上位学級に入っていましたが、その時自分が思っていることが嫌になったのか、高校を辞めることに。

 高校を辞めてからは何度か再起を試みましたが、上手くいかず、さらに心の病が複雑化し、20歳を過ぎた初め頃には膠原病で大学病院に入院し、学問には失望し、その頃から心療内科で合わない薬を飲んだのか、とうとう24 歳の2月に腎臓を悪くし、人工透析に入って、心と体両方ともハンディを負って学問に絶望しました。その後長い間腎機能はほとんどなしで大変苦労し過ごしたのか、今の透析施設に移ってきた時に清瘍大腸炎を患い、専門の先生に 「こんなの診察したことがない」と言われる始末でした。人生、イエス様を信じていたのに、心の強いおごり、高慢な心に神様がご介 入されました。清瘍性大腸炎の時は立って外を歩くことができずにいました。

 ある日、車椅子を父に押してもらって透析施設へ通う時になんとなく神様の御心を感じ、「一歩一歩、目先のことをゆっくり進めてみては」との御心を感じ、病状が良くなってからは移転前の場所にあった鎌倉深沢教会に心を寄せ、後日に礼拝の行事が終わった時に教会へ行き、当時の金井望先生にお話を聞いていただき、ぜひ礼拝いらっしゃいと言われて、25 年ほどぶりに教会通うことになりました。その時両親には「過ぎたるは及ばざるが如し」と言われましたが、それから少しして、牧師先生に洗礼を受けたいと告げ、家族には良く思われない中、洗礼を受けることに。そして金井先生が鎌倉深沢教会をお辞めになるときに、その時までに得た教会での品物や洗礼の色紙、聖書などを家族が教会に返しに行って、退会届けも渡してしまいました。しかしそれでは僕の人生は無いと、無心に悟ったのか。それら全部を、両親の反対の中、暗くなってからまだ教会が開いている時間に慌てて取り返しに行きました。

 それからは教会生活と闘病生活が続きましたが、2009 年3 月15 日に洗礼を受けてから15 年目にして長期間比較的安定するようになり、心療内科の担医から高卒認定試験を受けるように勧められ、久しぶりに学問を志すことに。その間、父と母を失いましたが、姉の見守りを得て頑張ることに。これからも命ある限りどんなことにもイエスの御言葉を頼りに闘って、闘い抜いて生きて頑張りたいです。この年ではだいぶ記憶力が落ちているのと安定剤を飲んでいることで、暗唱聖句がなかなか出てきませんが、今1番強く思える聖句は「私は道であり、真理であり、命である」との言葉です。これから は、高卒認定試験を合格したら、主の御心のままに、道を進んでいきたいと思います。

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