神様からのプレゼント
50代・女性
子どもの頃は強烈な人見知りで、親から離れることに大きな不安を抱えていましたが、それ以外はこれと言って不満や生きにくさなどはほとんど感じたこともなく、世間一般の女子の歩む道を何気なく歩んでいました。キリストに初めて出会ったのは、中学生の頃に同じクラスの友人がキリスト教の洗礼を受けたという、聞きなれない言葉を耳にしたときだったと思います。へ〜、という感覚で聞き流したと思いますが、今思えばこのときキリスト教に対する憧れのような種が心に蒔かれたように思います。その時期、家のすぐ前にアメリカ人宣教師ご夫妻がティータイム付き英語教室のような集会を開いていて、英語にもすごく興味があったのと、珍しいお菓子にも惹かれて友人たちと数回参加した記憶があるのですが、キリスト教の救いについては全く脳に刷り込まれておらず、何を聞いたかは全然覚えていません。その後、普通に就職し、同じ職場で出会った夫と結婚しました。そこで、人生で初めて姑という壁にぶつかりました。よく気がつく優しい姑でしたが、大正生まれできちんとした人でしたから、今までの、のほほんとした人生をがっつり否定されるような日々がやってきました。長男が与えられてからは、子育てに関しては特にあれやこれや意見され、夜中子どもを抱いて声を殺して涙したこともありました。
なんだかんだ子どものことに追われて毎日をやり過ごしていた、そんなあるお正月、姑が自宅玄関、私の目の前で倒れました。脳梗塞でした。長男が小学校卒業直前、末っ子は幼稚園卒園直前でした。3人の子どもたちの幼稚園の送り迎えを終え、これからは少しは自分のことに時間が使えるかな?などと、期待に胸をふくらませていた矢先、突然の介護生活に突入です。右半身麻痺と失語が後遺症でした。右手は全く感覚が無く力も入らない状態でしたが、姑は懸命のリハビリの末、自分の意思をかろうじて伝えられるようになり、自力歩行もできるまでに回復し帰宅しました。しかし自宅療養1年目に、室内で転び大腿骨を骨折、そのときから自力でベッドから離れる事ができなくなり、生活のすべてに介助が必要な状態になったのです。私の生活は子育てどころではない介護の現実へと送り込まれたのでした。一緒に生活していると日常生活の些細なことや子育てについてなど、あらゆる場面で価値観の違いに苦しんでいましたし、寝たきりになった姑は言葉もどんどん出なくなり、イライラをぶつけてくることも度々で、その人の為に自分の生活のすべての自由が奪われたような気持ちになって、精神的に追い込まれていきました。同じ時期、中学生になった長男も思春期を迎え、反抗的で、何を言っても理解してくれない宇宙人を相手にしているようで、私は闇の中をもがくような毎日を送っていました。まるで、出口の見えないトンネルの中にいるようでした。
その頃、妹が神様と出会い、キリスト教の洗礼を受けたと聞いて、家のすぐ近くであるという理由だけで選んだ子どもたちの幼稚園が教会の付属であったのも不思議な導きでもあると感じ、聖書を学びたいと思いました。現在、籍をおく鎌倉深沢教会に初めて訪れたとき、暖かく迎え入れてくださった牧師先生と親しく接してくれた姉妹の雰囲気も大いに影響していたのでしょうが、瞬時にして神様の臨在を全身で感じました。受け入れられた!という感覚だったように思います。聖書に書かれているイエスキリストの復活、預言や様々な出来事は、そのまますぐには理解はできませんでしたが、み言葉に触れるとき、毎週のように涙がこぼれ、言葉にはできない重荷が次々と下ろされて行くのが実感でき、イエスキリストを救い主と受け入れ、受洗いたしました。主を知ってしまったからこそ、自分の心の醜さや頑なさを思い知らされる事もたびたびで、こんな事なら神様なんて知らなかった方が良かったと思った事も何度もありましたが、神様を知らなかった頃に戻ることはできません。神様は私の手を離される事はありませんでした。そのままのあなたでいいのだよ!愛しているよ!と絶えず神様は慰めてくれました。
8年続いた介護の生活の間には、あれほど手を焼いた息子が私の留守中にはおばあちゃんの食事を運んでくれたり、オムツを替えてくれることもありました。姑の介護という状況を家族全員で通る事によって、お互いを思いやるという、とても大切な心を育てられたのだと思います。これ以上ない神様からの大きなプレゼントです。
苦しみにあったことは、私に良いことです。これによって私はあなたのおきてを学ぶことができました。(詩篇119章71節)
2018年10月